2026年10月21日
膵がんは、「見つかったときには、すでに進行していた」ということが少なくない病気です。
その理由の一つは、初期には自覚症状がほとんどないことです。
さらに、CA19-9などの腫瘍マーカーも、早期の膵がんでは正常値を示すことがあり、血液検査だけで見つけるのは容易ではありません。
こうした課題に対し、東京大学などの研究チームが、新しい角度から挑んだ研究を発表しました。
着目したのは、血液中にある「酵素の働き」です。その働きを分子一つひとつのレベルで詳しく調べることで、膵がんのサインを捉えようというものです。
今回のコラムでは、学術誌『Cell Biomaterials』に掲載されたこの研究について、何が新しく、どこまでわかったのかを、できるだけわかりやすく解説します。
「血液1滴で膵がんを見つける」― その実現に向けて、この研究はどのような可能性を示したのでしょうか。
タンパク質の「量」ではなく、「働き」を見る
従来の腫瘍マーカー検査では、主に「ある物質が血液中にどれくらいあるか」を測定します。
例えば、膵がんの代表的な腫瘍マーカーであるCA19-9は、「糖鎖」と呼ばれる糖のつながりの一種を目印に、その血液中の量を調べる検査です。
一方、今回の研究が注目したのは、血液中のタンパク質の「働き」です。
体内には、化学反応を助ける「酵素」というタンパク質があります。今回の研究では、その中でも、タンパク質などを切断する酵素に着目しました。
同じ名前の酵素でも、他のタンパク質と手をつないだような形になっていたり、一部が加工されていたりと、さまざまな「姿」があります。
そして、その姿によって、働き方が異なることがあります。
多くの分子をまとめて測定すると、全体としての量や働きはわかっても、一つひとつの分子の違いまでは見えにくくなります。
例えば、よく働く酵素が一部あっても、全体の中に埋もれてします可能性があるのです。
酵素1分子ずつの「働き」を見える化する
そこで研究チームが用いたのが、「単分子酵素活性プロファイリング(SEAP)」という技術です。
名前は少し難しいですが、ポイントは、酵素をまとめて調べるのではなく、分子一つひとつの「働き」を調べることです。
これにより、全体をまとめて測るだけでは埋もれてしまう違いを捉えようとしています。
具体的な方法は、まず極めて小さな「部屋」が数十万個(!)並んだ装置を用意します。
各部屋には、酵素によって切断されると蛍光を発する特殊な試薬を入れておきます。
そして、血液から得られた試料を薄め、「部屋」に入れます。
その際、一つの部屋に調べたい酵素が1個だけ入るように濃度を調整し、分子一つひとつの働きを観察できるようにします。
すると、対象の酵素が働いた部屋が、光る点として見えるようになります。
その光の色や、時間とともに明るくなる速さ(反応スピード)を調べることで、どのような酵素の働きがあるのか、どれくらい活発に働いているのかを、1つの分子レベルで読み取ることができます。
この研究で何がわかったか?
1. 膵がんに伴って現れる「血液中のサイン」
研究チームは、ステージI・IIの膵がん患者の血液中に、特徴的な酵素の変化を見つけました。ここでは、主な2つの変化をご紹介します
① 酵素ペアの減少(DPP4–FAPα複合体の減少)
健康な人の血液中には、「DPP4」と「FAPα」という2種類の酵素が、手をつなぐように結びついたものが存在します。これを「DPP4–FAPα複合体」と呼びます。
今回の研究では、膵がん患者の血液中で、この「酵素ペア」の割合が大きく減少していました。
なぜ減るのかは、まだ十分にはわかっていません。研究チームは、膵臓の細胞や、がんの周囲にある線維芽細胞などの働きの変化を反映している可能性があると考えています。
つまり、がん細胞そのものだけでなく、その周囲の組織に起きた変化も、血液中のサインとして捉えられるかもしれないのです。
② よく働く酵素の増加(高活性型CD13の増加)
もう一つ注目されたのが、「CD13」という酵素です。
膵がん患者の血液中では、健康な人にはほとんど見られない、特に活発に働くタイプのCD13が見つかりました。いわば、酵素が「高活性モード」になっている状態です。
その正体として、複数のCD13が集まって“チーム化”している可能性や、血液中の脂質を運ぶ粒子と結びついている可能性が考えられています。ただし、詳しい仕組みは今後の研究で確かめる必要があります。
ここでのポイントは、単に「CD13の量が増えたか」ではなく、「どのような働き方のCD13が増えたか」を捉えていることです。
2.人の先入観に頼りすぎず、隠れた特徴を探す「AIの眼」
分子一つひとつの働きを調べると、膨大なデータが得られます。
そこから病気に関係する特徴を見つけるため、研究チームは「変分オートエンコーダー(VAE)」という深層学習の技術を取り入れました。
これは、複雑なデータの中からある特徴を取り出し、整理するAIです。
人間があらかじめ「この範囲に注目しよう」と線引きする方法では、どうしても解析する人の「主観」が入ってしまいます。
この技術は、そうした主観の影響を抑えながら、人の目では見落としがちなパターンをデータの中から見つけ出せる可能性があります。
研究チームは、こうして得られたDPP4–FAPαとCD13の特徴を組み合わせ、膵がん患者と健康な人を見分ける解析を行いました。
別の医療機関から集めた集団で評価したところ、見分ける能力を示す指標「AUROC」は0.77でした。
AUROCは、0.5ならコイントスと同程度、1.0なら完全に見分けられることを示します。
今回の結果は有望ですが、実際の診療でどの程度役立つかは、さらにさらに多くの人を対象とした検証が必要です。
3.CA19-9では捉えられない膵がんを補える可能性
現在、膵がんの血液検査で広く使われている腫瘍マーカー「CA19-9」は、早期の膵がんでは正常範囲にとどまることがあります。
今回の研究では、ステージI・IIの膵がん患者31名のうち、DPP4–FAPα複合体の減少、または高活性型CD13の増加を指標として、22名が研究上の基準で陽性となりました。
注目すべきことに、この22名のうち12名、つまり半数以上の54.5%は、CA19-9が陰性でした。
酵素指標で陽性となった22名の内訳
ステージI・IIの膵がん患者31名のうち、
22名が研究上の陽性基準を満たしました。
CA19-9陰性
12名 (54.5%)
CA19-9陽性
10名 (45.5%)
酵素指標で陽性となった患者の半数以上は、CA19-9が陰性でした。 CA19-9では捉えられない膵がんを、酵素の働きの変化から捉えられる可能性を示す結果です。
※酵素指標の陽性とは、DPP4–FAPα複合体の減少、または高活性型CD13の増加が、研究上の基準を満たしたことを指します。
※54.5%の分母は、酵素指標で陽性となった22名です。「CA19-9陰性患者全体の54.5%を検出した」という意味ではありません。
出典:Sakamoto et al., Cell Biomaterials, 2026. 原著論文
これは、CA19-9が正常範囲でも、酵素の働きには膵がんに関連する変化が現れている場合があることを示しています。
今回の技術は、CA19-9とは異なる角度から膵がんのサインを捉え、従来の検査を補う手段になる可能性があります。
ここまでご紹介したCA19-9と今回の技術の違いを、表にまとめました。
※画面に表が収まらない場合は、左右にスクロールできます。
| 比較項目 | 従来のCA19-9検査 | 今回の研究で用いたSEAP |
|---|---|---|
| 何を調べるか | CA19-9という糖鎖抗原の量 | 酵素一つひとつの働き |
| 測定の特徴 | 血液中の抗原量を、まとめて数値化する | 分子ごとの活性の違いや、複合体に特徴的な活性を捉える |
| 膵がんで注目する変化 | CA19-9の値の上昇 | DPP4–FAPα複合体の減少、高活性型CD13の増加 |
| 早期発見への可能性と課題 | 早期の膵がんでは正常範囲にとどまることがある | ステージI・IIでも酵素の変化を確認。検出能力はさらに検証が必要 |
| CA19-9を補う可能性 | CA19-9単独では捉えられない症例がある | 酵素指標で陽性となった膵がん患者22名のうち、12名はCA19-9陰性だった |
| 測定・解析の方法 | 抗体を使って抗原量を測定する | 微細な装置と蛍光試薬で測定し、AIを用いた解析も行う |
| 現時点での位置づけ | 診療で広く使用される診断補助・経過観察の指標 | 診断への応用を目指し、有用性を検証している技術 |
※CA19-9は検査項目、SEAPは測定・解析技術の名称です。この表は両者の考え方の違いを示しており、SEAPの診断性能がCA19-9を上回ると確立したことを示すものではありません。
実用化に向けて、これから確かめること
ここまで、期待の持てる研究結果をご紹介しました。
ただし、実際の診療で役立つ検査として広く使われるまでには、まだ確かめるべきことがあります。
今回の研究で調べた人数は、それぞれの集団で膵がん患者と健康な人が各30人前後と、比較的小規模でした。
結果がより多くの人にも当てはまるか、さらに検証する必要があります。
また、「膵がん患者と健康な人を見分けられること」と、「症状のない多くの人の中から膵がんを見つけられること」は、同じではありません。
膵炎などの良性疾患でも陽性にならないか(偽陽性)、膵がんがあるのに陰性となるケースがどれくらいあるか(偽陰性)も、確認していく必要があります。
私がさらに注目しているのは、次の2点です。
1. 今回対象となったステージI・IIの膵がんの中でも、より早期のステージI、さらにステージ0の段階で、どれくらい検出できるのか。
2. 以前のコラムで紹介したマイクロRNAの研究と同様に、膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)が浸潤がんになる前の変化である「高度異形成」を捉えられる可能性はあるのか。
単に膵がんの存在を捉えるだけでなく、治療によって良好な経過が期待できる段階で発見できるかどうかが、臨床では大切だと考えています。
ただし、今回の結果だけで、こうした段階での検出能力が十分に確かめられたわけではありません。また、「この検査だけで膵がんを診断できる」と示されたわけでもありません。
それでも、分子一つひとつの「働き」に目を向けることで、これまで捉えにくかった膵がんのサインが見えてきた点に、この研究の意義があります。
研究の成果を、実際の健診へ
こうした可能性を実際の健診の場で確かめる取り組みも、すでに始まっています。
コウソミル株式会社は、今回の研究と共通する「1分子計測リキッドバイオプシー」技術を応用した血液検査「エンゼバーすい臓がん」を開発し、臨床研究への参加を条件とした検査の提供を進めています。
さらに、同社が運営事務局を務める「エンゼバーフィージビリティ研究」では、健診や人間ドックを受ける方を対象に、1万人の登録を目指した前向き臨床研究が始まっています。
この研究では、血液検査で陽性となった方をMRIや超音波内視鏡(EUS)などの精密検査につなげ、実際にどれくらい膵がんが見つかるのかを調べます。
血液検査だけで完結するのではなく、健診施設と精密検査を行う医療機関が連携する仕組みです。
検査としての提供は始まっていますが、健診での有用性を確かめている段階です。
血液中の小さな変化を、膵がんの早期発見につなげられるのか。今後の研究結果に注目したいと思います。
参考:検査提供についての公式発表/エンゼバーフィージビリティ研究の案内
参考文献
Sakamoto S, et al. 2026, Cell Biomaterials2, 100456 December 15, 2026.